東京高等裁判所 昭和31年(う)1769号 判決
被告人 須佐勉
〔抄 録〕
論旨中事実誤認と題する所論について。
記録ないし証拠によれば、被告人は、予ねて被害者出野四郎の横柄な態度に快く思つていなかつたところ、原判示の夜、飲屋で出野四郎やその同僚の石川茂助と飲酒を共にした際、石川が、飲屋の煎餠や塩豆を盗んだところを目撃して被告人が注意したところ、石川、出野は、これを根に持ち、殊に出野は、その大きな体格に物を言わせ、兎もすれば、物凄い形相で被告人に喧嘩を売ろうとする態度に出るので、被告人は、一旦は、自己の宿舎に引きあげるなどしてこれを避けようとしたが、出野は、執拗にこれを連れ出し、更に飲酒を続けて仲直りの様子も見えたが、被告人は、いつ何時出野から喧嘩を売られ攻撃を受けるやも知れないとの懸念から、これに対処するため、一度自己の宿舎に帰つた際同宿の猪股巖から同人が予ねて業務用に持つていた刃渡約十五糎のあいくちを借り受けて懐中に忍ばせながら行動を共にし、最後に、石川、出野の強いての要求で同人等の宿舎に赴むいたところ、石川が、先に被告人から塩豆などを盗んだのを注意されたことを蒸しかえし、被告人に対し不満を述べたので、被告人が憤慨し「注意してやつて仲直りまでしたのに何もぶつぶつ言う必要はないだろう何を言つてやがるんだい」と奴鳴り返したところ、これを側で聞いた出野が憤慨し、物凄い形相で「俺をなめるじやねえぞ、俺は不二拳闘倶楽部に通つていたんだ」と奴鳴りながら矢庭に右手の握拳をもつて物凄い力で被告人の左下顎を突き上げ、被告人をその場に顛倒させたので、被告人は、同人に対する予ねての鬱憤も手伝い、怒が一時に爆発し、前示用意のあいくちを抜き放ち、その切先を拳闘の構えで身構えしている出野の方に向けて突き出し前かがみとなつて、もぐり込むようにして出野の前に飛び込み、力まかせに同人の胸の辺を目がけて突き刺したところ、同人はうんと言つたまま仰向けに倒れ、突き刺したあいくちは柄だけが被告人本人の右手に残り、刀身は、柄から抜けて出野の胸部に突き刺さり、間もなく石川が、その刀身を引き抜いたとはいえ、出野はそのまま心臓損傷による失血のため即死したものであることが認められる。されば、以上によつて見るときは、被告人兇行の動機には、一抹同情の余地なしとはしないが、右に見る如く、兇行時における被告人憤激の程度、兇器の種類、性質、計画的な兇器の携帶、兇行時における兇器使用の態様、兇器たるあいくちで突き刺した部位や刀身だけが被害者の胸部に突き刺さつたままに残留した状況等を総合するときは、到底被告人の兇行時における出野に対する殺意を否定することはできない。原審が、原判示事実を認定し、被告人の所為につき殺人の罪に問うたことは正当である。被告人の所為をもつて傷害致死の罪に問うべきであるとの所論は採用するを得ない。
(三宅 河原 遠藤)